映画『影裏』は幽玄な傑作である。 綾野剛は近年最良の演技を披露しているばかりでなく、この演じ手がこれまでひそませていた秘密が丸裸にされたような禁忌を、わたしたちは陶酔とともに見とどけることになる。 松田龍平の表現はモダンアートの域に達している。欧米の美術館は所蔵したがるだろう。
相田冬二
(映画批評家)
役者たちは、この映画の中にただ静かに在る。
思い起こしてみても、僕はずっと彼ら自身というよりも、彼らの影をじっと見ていたように感じる。
真っ黒な影のその奥を、そうやっていつまでも覗き込んでいると、ふいに生々しい“真実”が顔を出す。
映画がなすべき仕事だ、と強く思った。
石川慶
(映画監督)
「るろうに剣心」の撮影中、「影裏」の撮影を終えた大友監督が、地方は孤立する。という言葉を何度も口にしていたのを覚えている。
盛岡は監督が生まれ、育った場所だ。
光の当たらない人間の影に強く踏み込んだ、見応えのある作品だ。
江口洋介
(俳優)
濃密に描かれたすべてが何故か儚い。
今野くんの静かな喜びや悲しみを見ていると、決して忘れないだろうと思った記憶の数々が、少しずつ薄れていくことにあらためて気づいてしまう。
奥寺佐渡子
脚本家
「人を見るときは裏側、影の一番濃い所を見るんだ」という言葉に主人公は自身の性癖と向き合う。日常の顔と本当の素顔の間の葛藤を鋭く抉り、3.11を挟む物語は、死から再生への希望へと続く。美しい岩手の四季を背景に、大友啓史監督は主人公の心の揺れと共振する綾野剛のしなやかな肢体を通して人間の内面、影を見事に捉えた。
掛尾良夫
(元キネマ旬報編集長)
水流に飲み込まれて、顔を出し、また大きなうねりの中に入っていく。外から見ている人間にはそれがたまらなくもどかしい。観た後に頭の中に浮かんできたのは、昔の友人。「あの人、どうなった?」
今日マチ子
(漫画家)
松田龍平が攻める。綾野剛が守る。
静かな緊張感をはらんだ攻防戦は、驚くべきことに、無上の愛へと到達する。これは今まで誰も見たことのない不思議な恋愛映画だ
黒沢 清
(映画監督)
淡々と進んでいく物語の中で、まるで蝋燭の火であぶり出した絵のようにじわじわと物語の形が見えてくる。
言葉、時間、性、光、影。
一見シンプルに見えるストーリーが逆に観る側を能動的にし、 自分の日常にもおきえる小さな一つ一つの出来事をヒントと思えるような 感覚に誘う、観れば観るほど深くなる作品だと思った。
小橋賢児
(クリエイター)
人間が立ち向かえない自然という怪物。
人はずっと昔からそこを経験してきたし、これからも抗い続ける。
実は3・11以降も以前もない。
そして人も謎であるということ。
この映画が指し示してくれたことは途轍もなく大きい。
破壊の跡からは、小さな芽が生まれ、育つ。
この映画には生きていくことが充満している。
瀬々敬久
(映画監督)
人の弱さや狡さに溢れたこの世界を見つめる、大友監督のまなざしはやさしい。そのやさしさに触れたくて、作品が封切られるたび足を運ぶ。
今作『影裏』では、心の底に細い釣り糸をたらして下りてゆくような、これまでにない不思議な感覚を味わった。
盛岡という土地に宿る強烈な引力と、独特の陰影の描き方は秀逸。ラストシーンでは、ふいに向こう側の世界に出たようなカタルシスが訪れる。やさしさが、静かに満ちてくる。
髙森玲子
(作家)
静謐な時間の中で、炙り出される主人公の揺れ動く感情。息を止めるほど、見入ってしまいました。文学的な香りのする、美しくも畏れを感じさせる作品。
立田敦子
(映画ジャーナリスト)
先ずは告白しなければならないが、カメラで切り取られた映画の舞台、盛岡の自然の美しさだ。緑したたる森の木々、清らかな川の流れ。そこをバックに二人の男性の不思議な関係が描かれて行く。失踪して初めて親友の影と裏に向き合う事になる主人公の心の揺らめき。深い感動を残す実に繊細な映画だ。
鳥越俊太郎
(ジャーナリスト)
「私は生きている!」
そう強く思わせてくれる作品。
長くて寒い冬を、夏の鮮やかだけど儚げなさんさ踊りを、光がキラキラと当たる緑や川の美しさや吹いてくる風を、肌で感じに、また岩手に帰りたくなりました。
福田萌
(タレント)
深く心を寄せる人を、自分の思い込みと期待で塗り固めてしまう――。それは、誰しもが陥る罠であり、孤独の証だ。
美しい岩手の風景の中で、誰もが隠したい“醜い素顔”が現れた時、絆の真理が見えてくる。
真山仁
(小説家)
すべてが儚く、切なく、哀しい。
虚構と現実の間で生きる二人の男の悲しい出会いと別れを岩手の自然を背景に、精細な色彩で見事に表現されている。
静かだが心の奥底に染みて広がる最高のミステリー作品である。
三田紀房
(漫画家)

※敬称略、五十音順